センター試験翌日、新聞での丸付けを終えて、私は高揚していた。
3教科総合の得点率 82.5%。
(私大、一つは取ったかもしれない!)。
手ごたえ以上の得点だったので驚いたが、漠然と定めていた目標得点率80%は達成した。そして、このことが多少なりとも影響したのか、噂に聞いていた燃え尽き症候群となってしまった。
何も勉強する気が起きない。あがいてもしょうがないと下宿先から地元へ帰り、録りためていた年末の格闘技特番などを観て過ごした。回復まで1週間ほどかかっただろうか。
少しばかり安心したとは言え、不眠症は相変わらずであり、センター試験出願で合格しても、入学手続きの日程や入学金の都合もあり、合格校キープはしないことにしたので、一般受験で落ちたら終わりの状況は変わらなかった。
そうして1週間ほど経つと、焦りや不安が脱力感を上回り始めたので、下宿先へ戻り再び机に向かった。
私大出願はG-MARCHと決めていたが、私の8月以降の模試成績の伸びやセンター試験の結果を知っている先輩から「エビちゃん、これだけ伸びたなら早稲田狙えるよ。出願しなよ」などと言われ、出願締め切り日、郵便局の閉まるギリギリの時間に早稲田大学へ出願した。
この頃になるとG-MARCHの過去問も自己採点で7~8割は取れている感じだったので、「もしかするとG-MARCH、受かるかもしれない」という淡い期待があったように思う。同時に、「半年でこれだけ伸びたなら、1年間しっかりやっていたら、あるいは学生時代もう少しだけちゃんとやっていたら、MARCHは余裕だったんじゃないか。それこそ早慶あたりも狙えたんじゃないか」そんな後悔に近い感情が常に付きまとっていた。受験してダメなら、早慶への未練もある程度断ち切れるのでは、というのも早稲田出願の裏にはあったように思う。
燃え尽き症候群脱却後から私大入試の始まる2月9日頃までは、再びセンター直前のような重度の不眠症に苦しみながらも、焦り、不安、後悔に駆り立てられ、使い倒した参考書や過去問をひたすらに繰り返していた。
「もうこいつらと心中覚悟でやるしかない」
そんな気分だったが、不安に押されて、新しく上級英単語の本と熟語帳を買ったりもした。この時期からでは当然、入試までにモノにしたとは言えなかったが、それでもやった範囲で拾えた得点はあったので、無駄ではなかった。
2月に入り、いよいよ私の受験の本丸、私大入試を迎えた。