11月。二つの大きな出来事があった。
一つは二度の模試。
8月はすべて暗号の羅列としか見えなかった問題。
英語長文が「あ、読める!」、古文が「あ、分かる!」、政治経済が「あ、解ける!」。
たかだか3ヶ月で、ただただ参考書を繰り返すだけでこんなに出来るようになるとは!
問題を解きながら、自分の学力が格段に上がっていることを感じた。マークシート式、記述式、ともに十分な手ごたえだった。これで学習法への自信をますます深めた。
また同時期、MARCHの過去問をいくつか解いた。3教科平均して6割弱だったと記憶している。当時は間違えた部分だけ見て「こんなに間違えてる」とばかり考えていたが、今にして思えばこの時期にしては上々だったのではと思う。
二つ目は、人間関係での出来事。
近しい友人たちとの間で、人生において感じたことの無いみじめさを味わう出来事があった。この出来事は私の心身に甚大なダメージを与えた。もともと不眠症が続いていたこともあり、勉強どころではなくなるのでは、と自分で自分の受験を危惧した。しかしその後、自分でも驚くほどの早さで、再び受験へと意識は切り替わった。
「これで落ちたら、俺は一生何者にもなれない」
どのみち23歳、契約社員やフリーター時代の100万円の貯金を切り崩して始めた浪人生活だが、食費や社会保険料、受験費用等で貯金は思いの外早く減り、もう一年やる余裕などなかった。また、受験への焦り・不安・後悔からくる不眠症も一向に治ることなく、これもまた、もう一年付き合う余裕はなかった。
模試での確かな手ごたえ。友人との間で感じたかつてない程のみじめさ.
これら二つの出来事は結果的に、全く質の異なる燃料として私の「やるしかない」という気持ちを奮い立たせてくれた。
学歴なし、資格なし、目立つ職歴なし。当時の私には人生を変える第一歩として難関大学に行くこと以外思いつかなかった。
貯金が尽きる前に、不眠症で体力が尽きる前に、この一年で決めるしかなかった。
上記の人間関係での出来事のあと、環境を変えようと私は地元の守谷市を離れ、80kmほど離れた茨城県北部の那珂市へと移った。ここには父親が仕事用宿舎として借りたまま、ほとんど使っていなかった平屋があった。昭和初期~中期に建てられたのではという平屋で、玄関はガラスの引き戸でそのカギは南京錠(笑)、エアコンや風呂は壊れて使えず、冬の寒い日は水道が凍った。トイレはもちろん(?)和式のボットン。ある意味、勉強をする以外どうしようもない環境だった。
ここで残り3ヶ月のラストスパートをかけることとなる。