受験最終盤。
2月17日 ―法政大学文学部―
既に同大学の現代福祉学部が受かっていたこと、睡眠状況が改善していたこと、また、翌日から早稲田2連戦が控えていたので、その前哨戦という感覚だったこともあり、リラックスして臨めた。
手ごたえは何ともだったが、現代福祉学部よりマシだったので、「受かっただろう」という感覚。結果は合格。
2月18日 ―早稲田大学人間科学部―
当日、水戸から高速バスで都内へ。
試験室到着は時間ギリギリとなり、開始5分前くらいだったか。試験開始前の静寂の中、すり鉢状の大教室の前面から入室したので、大勢の受験生と試験官の冷ややかな視線を一点に集めながら着席。開始時間ギリギリの滑り込みだったことと、「変な奴と思われたかも」ということからくるドキドキで、ある意味試験そのものへの緊張は緩和された。呼吸が落ち着き始めた頃、早稲田の入試が始まった。「MARCHも早稲田もどのみち難関だ。自分の実力では、どちらも難しさにそれほど違いはないだろう」と考えていた。
1科目目の英語、大問1を解き始めて間もなく、「あ、段違いだ!」と感じた。
もともとG-MARCH志望で、直前で早稲田を出願したこともあり、早稲田の過去問は1度も触れていなかった。初めて、早稲田の英文に触れ、難しいと思っていたG-MARCHの長文が意外と読めていたんだなということに気が付いた。必死に喰らいつきながら、常に残りの問題数と終了時刻を照らし合わせていた。そうして、どうにかすべて解き切ることができた。
2科目目の国語。英語とはうって変わって驚くほど簡単だった。引っ掛けに掛かっていることを少し疑ったが、これまでの試験で手ごたえの良い時はきちんと点数も取れていたので、国語は取ったかも、の予感。しかし、休憩時間に後ろの女子から「超簡単だったよね」などと聞こえてきて凹む。結局、差はついていなそうだ。
最後は政治経済。大問1で、全捨てしていた時事問題が出た。裁判員裁判について。全く分からないが、「合理的な制度にするなら、こうだろう」という推測のみでマークシートを埋めた(確かほとんど当たっていた!)。他にも、全く参考書で見たこともない国連機関などが出題されたが、これらも勘ではなく必死の推測で埋めた(これまた意外と推測通りだった)。
試験終了後、水戸まで帰る気力もなく、都内でホテルを探す。時期が時期だからか、どこも一杯。空いていたのはかなり高めのホテルだったが、他を捜す気力もないので、宿泊。明日ですべてが終わる・・
2月19日 ―早稲田大学教育学部(教育心理学専修)―
入試最終日。
8月に文転を決め、社会科目を選択する時に、通常の日本史・世界史・地理の社会3科目をこれから学習するのは難しいだろうということで、より短期間で最低限仕上げられそうな科目を捜したところ、公民の政治経済でもそれなりに私立文系を受験できることを発見した。当時はG-MARCHが第一志望で、それさえ夢のまた夢であったが、「早稲田も受けられるんだな。しかも、心理学系」などとなぜか早稲田も調べていたことを思い出した。自覚してはいなかったが、もしかすると潜在的にごくわずかでも「早稲田に行けたら」という思いはあったのかもしれない。
8月の文転。
第一志望はG-MARCH。
出願は締め切り日ギリギリ。
試験日は祖母の告別式当日。
本来ならば受験は考えもしなかったであろう様々な要因があった。
それでも臨むこととなった早稲田受験、何かしらの縁はあったのかもしれない(普段はそんなものは全く信じないタチだが)。
試験会場。前日と違い、会場に入ると開始までに時間があったので、後ろの席の人に頼んで赤本を見せてもらう。英語を見てみると、大問5つ全て文章問題で、文章の内容把握や、適切な単語・文法を文脈から判断させる問題であった。
もともと国語が得意であったことと、英語は長文読解が入試の肝と考え学習をしてきたので、「単純な知識量はこの中で明らかに劣っているけど、読解力で挽回も可能かもしれない。少しはチャンスがあるのかな」と感じた。大まかな雰囲気と時間配分を頭に入れ、英語から試験開始。
前日の人間科学部がオールマーク式だったのに対し、教育学部は国語、政治経済は筆記であった。
英語はやはり難しく答えが絞り切れないものも少なくなかったが、少しでも可能性の高い選択肢を選べるように、手持ちの知識を総動員してひたすら選択肢を絞っていった。解けている感触は無かったが、日常学習ではまず出ないくらいの集中力を発揮していたと思う。
続く政治経済は筆記形式だからなのか、問題自体は人間科学部より少し取っつきやすい印象(とはいえ、どのみち難しいが)。「細川護熙の“熙”の漢字は要注意だな」などと直前期に思っていたら、本当に筆記で出されたので驚いた。
最後の国語。筆記であるにも関わらず、問題自体も前日より難しくなった。何度もやめたい衝動に駆られた。しかし、祖母の告別式に出ずに臨んだ試験。「これで投げ出したら、ばあちゃんに顔向けできん」と、どうにか国語も時間ぎりぎりで解き切った。
試験終了の合図。
「どうだ!全部出し切ったぞ!」
心の中で叫んだ。
帰り道、「やっぱり、早稲田はむずかしかったな・・もう少しだけ時間があったら、もしかしたら届いたのかな・・・」そんなことを考えていた。
ともあれ、ようやく・・ようやく・・・長かった受験が終わった。