2月9日~16日  ―怒涛の私大入試―


2月9日~19日にかけて私大入試が続いた。心理学を学ぶことができ、社会科目が政治経済選択で受験することができるG-MARCHや早慶は手あたり次第出願したので、過酷な日程となった。

 2月9日  ―法政大学現代福祉学部―
私大入試1発目。英語の試験の途中、緊張と極度の疲労からか手が震えだし、記述部分がうまく書けない。何度も書き直し、時間をロス。終了時刻が迫る中、残りの部分は大急ぎで読み流しザッと埋める。「あ~、やっぱキビしいか」などと思いながら、試験終了。結果は、合格。ネバーギブアップ!

 2月10日  ―中央大学文学部(予定)―
前日の試験後、滞在中のホテルに戻るとすぐに眠りにつく・・・も、1時間ちょっとで目が覚める。結局、そのまま眠れず朝を迎える。9日から14日まで、入試6連戦なので、「これじゃ勝負にならん!」と中央大の入試を見送り、近くの病院へ。不眠症になって以来、初めて受診し、精神安定剤と睡眠薬をもらう。「リラックスすると良い」と言われ、コメディ映画を観て帰る。
過去問の得点率的には相性の良かった中央大学。この選択は吉だったのか凶だったのか。(これで少しでも眠れるようになれば・・)。そんなことを考えながら、ホテルへの帰り道を歩いていた。

 2月11日  ―明治学院大学心理学部―
薬とコメディ映画の効果もむなしく、2時間ほどで目が覚める。まだ、時刻は10日の20時頃。恐ろしく長い夜が始まる。ホテルに籠っていると発狂しそうになるので、夜の街をフラフラとさまよう。ホテルに帰るも部屋に戻る気がせず、ホテル内のレストランでから揚げ一品を頼み、夜通し問題集を解く。不思議とこの時のから揚げの味を今でも覚えている。14日までこの繰り返し。
滑り止め的な意味もあった明治学院だが、今一つ相性が悪く、手ごたえはイマイチ。
結果は不合格、のちに合格に変更。よく分からん。

 2月12日  ―学習院大学文学部―
試験前の体調はこの日が受験を通して1番悪かった。会場に着くも、頭がまともに機能していないのが分かる。「こりゃあ、またダメだな」そんなことを考えているうちに試験開始。
ところが、試験がはじまった瞬間、奇妙なことが起きた。何かのスイッチが入ったかのように眠気が吹き飛び、頭が冴えた。全教科手ごたえありで「受かったんじゃね?」の予感。合格。振り返ると、全試験を通して唯一合格の手ごたえを感じた試験だった。

 2月13,14日  ―青山学院大学文学部―
眠い、ダルい、もはや当たり前。腹をくくったわけではないが、ひたすら耐えて会場に向かう。評判通り英語が難しく、対策を一切しなかった英作文は文法ミスにだけ気を付けて、内容はデタラメなことを書き連ねた。13日の昼間コースは不合格も、14日の夜間コースは合格。長い6連戦が終わった。


試験後、会場を出ると長いこと連絡を取っていない伯母から携帯に電話があった。
電話に出ると、祖母が他界したと、前置きも無く告げられた。

周囲の世界がぐるりと回るような感覚に襲われた。
私は少々複雑な家庭で育ち、実質的に母方の祖母に育てられた。その祖母は数年前から高齢や病気のために体が弱り、介護のために親族の家でお世話になっていた。祖母が私と一緒に暮らしていた家を出る頃、私は20歳過ぎでフリーターのようなことをしていた。口には出さなかったが、どこかで私の将来を心配していたように思う。受験を良い形で終えられたら、その報告を一番にしたい人物は祖母だった。

そして、電話で通夜や告別式の日程を伝えられた。何の因果か、その日取りはこの後の早稲田大学の入試日であった。
その電話の翌日か翌々日だったか、法政大学の合格発表があった。私は昼過ぎに電話で合格を確認した。私大一般入試で最初に手にした合格だった。色んな意味で安堵した。もう1年やらなくて済む。これで少しは眠れる。何より祖母の葬儀に出られる。そんな気持ちだった。
私は「とりあえず合格は決まったので、葬儀に出ます」と言うと、親族や周辺の方々は「せっかくここまでやったなら、最後までやりなよ。ばあちゃんもそれを望んでいるよ」と、口をそろえた。
しばらく考えたが、
「・・・確かに、ばあちゃんならそれを望むだろうな・・」と思えたので、
後ろ髪を強くひかれる思いだったが、早稲田を含む受験終盤に臨む決意を固めた。


2022年01月12日