プロローグ  ―22歳、3月、早朝の車中で―


「大学受験でもしようかな」

そう私が思いたったのは、間もなく23歳を迎えようとする春先のことだった。
この頃、私は作業服を身にまとい、南の島で斜面を駆け上がりながら測量の助手をしたり、茨城の山奥の建設工事現場で施工データの測定等をしていた。短期契約で就いていたその仕事の終わりが見えてきていたので、「この仕事が終わった後のことを考えないとなあ」などと漠然と考えていた。

それ以前の私はと言うと、高校卒業後、エスカレーター式で上がった大学を1カ月で中退し、契約社員やフリーターをして日銭を稼ぎ、プータローと呼ばれる期間を過ごしたりもしていた。

小学時代は勉強は出来る方であったが、地元の公立中学に入るとあっという間に落ちこぼれ、3年間、超低空飛行を続けていたが、部活動の実績のおかげでもらった推薦で、土浦日本大学高校へと進んだ。
高校時代は、中学時代に輪を掛けて落ちこぼれ、進級に際し、テストの点数が足りないため追試を何度も受けたり、出席日数が足りないため春休み返上で学校に行くなどしていた。勉強が嫌いな上にその意義も見いだせなかったので、大学進学も望んでいなかったが、父の一方的な要望により(父子家庭であり、大学進学を断ろうとしたところ、勘当されかけた)、自分の意思とは無関係に内部推薦で日本大学へ進学した。

大学生活が始まっても、やはり学業を修める気は全く起こらず、かと言ってアルバイトやサークルに精を出すのであれば、なおさら大学に通う意味はないように思えたので、ひと月ほどで結局大学はやめることとなった。

その後4年近く、将来の見通しも無いぬるい生活を続けていた。ただ、「このままじゃいけないよなぁ」という感覚だけはぼんやりと持ち続けていたこともあり、友人達が大学を卒業する22歳の3月、期限に追われるかのように、「さすがに何か始めなくては!一度くらい必死に勉強してみるか」と思い立った。

そうして私は早朝、山奥の工事現場に向かう車のハンドルを握りながら、「この仕事が終わったら、大学受験をしよう」という、それなりに考えた末の、けれどもまだどこか軟らかい決心をしたのだった。


2022年01月02日